創業

1910年、「ボン・マルシェ」百貨店のアドバイザリーボードが音頭を取って自社の重要な顧客のために開業したオテル・ルテシアは、当時主流だったアールヌーボーから新たに台頭したアールデコ調に刷新されたことで、パリの歴史上、大変注目すべき存在と言えます。当ホテルはパリ6区にあるサン・ジェルマン・デ・プレ地区(45 Boulevard Raspail)に位置し、パリの歴史上、左岸にある最も著名なホテルの一つと言えます。当初の建築は彫刻家レオン・ビネーが手掛け、後にポール・ベルモンド(俳優ジャン=ポール・ベルモンドの父)がホテルの正面ファサードにアールヌーボー調の装飾を施します。ブドウの木と果実に花のディテールを散りばめた枝のような彫刻は印象的です。ルテシアは、瞬く間に、有名無名に関係なく人々が集い、ごく自然にてらいもなく、芸術、哲学、科学、政治が次々と生まれる場所になったのです。ここは、知性が集まる場所。様々な試みと、知識や思想が生まれ、育まれる場所となりました。ルテシアの開業から間もなく、第一次世界大戦の勃発によってその栄光は中断を余儀なくされました。その後、1940年6月にもフランス政府が占領されたパリから撤退したことでルテシアはその歴史の幕を閉じることになりました。第二次世界大戦が始まると、ホテルの建物は(パリにある他のパレスホテルのように)占領軍に占拠され、兵隊や将校の宿舎や食堂として、また慰労のために使用されました。1944年、ルテシアは再び本来の姿を取り戻し、ドゴール将軍の命により、大切な家族を探す戦火に焼け出された人々や家族を受け入れる拠点となりました。毎日、多いときには2千人もの人々がホテルを訪れました。


著名人

パリ左岸は、文学、絵画、彫刻、舞踊などが盛んな土地として知られ、ルテシアにはそのいずれにも深い造詣があります。もともと文学とは強い結びつきを持っていたこのホテルで滞在したり仕事をしたり余暇を過ごしたりした歴史上の文化人たちの中には、アンドレ・ジッド、当ホテルで『ユリシーズ』を書いたジェイムズ・ジョイス、時折その編集者の役を務めたアーネスト・ヘミングウェイ、サミュエル・ベケット、アンドレ・マルロー、サン=テグジュペリらの姿もありました。これは文学の例ですが、他の分野の芸術家たちも同様に当ホテルに関わりがあります。ピカソとマティスはここに住み、ジョセフィン・ベイカーは常連客。50年代以降、当ホテルとそのバーはジャズの登場と発展に重大な役割を担いました。当ホテルの有名なバーでは、当時の新オーナーであったテタンジェ一族が乾杯のグラスを傾けています。同じ名前を持つ名高いシャンパンのように、ルテシアは新世代のビジネス界、政界、文化界のリーダーたちが集まる人気の社交場となりました。当時、まだ将校だった若かりし頃のドゴールは、新婚旅行を当ホテルで過ごしました。1940年6月、ドゴール将軍はイギリス渡航前夜、このホテルに宿泊しました。このとき彼が忘れたトランクはフランス解放までホテルの地下室に保管されていました。フランソワ・ミッテラン元大統領も当ホテルの常連でした。またアルバート・コーエンは代表作『Belle du Seigneur』を執筆中にここに宿泊していました。2005年に出版されたピエール・アスリーヌの小説『Lutetia』では当ホテルが舞台となり、1938年~1945年の戦時中に、ルテシアで実際に生活したり滞在したりした数多くの人たちの生き様を描いています。2009年前半、フランス産業界の大物実業家ピエール・ベルジェが自宅改装中にルテシアに滞在していました。それ以前にも、ベルジェは特別あつらえのスイートに数年間にわたって住んでいたことがあります。ピエール・ベルジェはイヴ・サンローラン社の共同設立者です。1980年代、ソニア・リキエルは彫刻家アルマンと共に当ホテルを改装し、自分用のスイートを作りました。デヴィッド・リンチもルテシアを住家としていた一人で、建物の1階にある彼のスイートには作品が保存されています。ただし、彼は明るく柔らかで居心地のよいデザインを採り入れホテル本来のアールデコ・スタイルを維持したため、彼のスイートにリンチの代名詞とも言える「闇の世界」の雰囲気は感じられません。


オール・ザット・ジャズ

50年代、パリで、そして当ホテルでも、自由を謳歌する風潮が高まり、サウンドトラックと共にジャズの時代が幕を開けました。ルテシアは再び、芸術家たちの集う場所になりました。ときにはミュージシャンもホテルに滞在しました。たとえば、宿泊客として訪れていた俳優のアンディ・ガルシアは鍵盤の前に腰掛け、その場に居合わせた他の夜更かし好きな客とともに遅くまで演奏を楽しみました。50年代の終わりには、ジュリエット・グレコとセルジュ・ゲンスブールなど、フランスの有名な芸術家同士がホテルの常連として顔を合わせることもありました。セルジュ・ゲンスブールが亡くなったとき、エディ・ミッチェルはブルースを作曲し、その歌は当ホテルのシンボルとなりました。


インスピレーション

パリの歴史に燦然と輝く超高級ホテルとして、ルテシアには伝統と今が共存し、こうしたルテシアに魅せられる現代のスターたちはルテシアの輝かしい過去にインスピレーションを受けています。有名なファッションデザイナーのソニア・リキエルが80年代に行った改装を後押ししたのも、このインスピレーションでした。リキエルは、ホテル内の自分の店から始まり、ルテシアの客室、ブラッセリー、ミシュラン星付きのレストランなどの歴史的なアールデコのスタイルを手直ししていきました。彼女に負けじと、彫刻家ヒクイリーから映画プロデューサーのデヴィッド・リンチなどの宿泊客も自分のスイートをデザインし始めました。もっとも大規模なデザインを実行したのは、著名な記念碑彫刻家のアルマンでした。毎年2ヶ月間、彼がパリの工房を見にくる際に、当ホテルは彼のセカンドハウスとなりました。

  • The SET
  • Hotel Cafe Royal - London
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